華族の頂点に立つ順位1位の公爵とは?

華族の最高位クラス『公爵』ーその実態となれた人をお話します。 日本史
この記事は約4分で読めます。

華族シリーズ第2弾となります。

前回は、華族に叙爵された爵位の順番について詳しくお話しました。

今回は、その爵位の順番で1位である『公爵』についてお話をしていきたいと思います。

『公爵』といえば、華族のトップに君臨した華やか一族というイメージが強いと思います。

ほんとに華やかだったのでしょうか。

現代から見ると、メルヘンな世界のように感じる華族の世界を覗いてみたいと思います。

では、前置きはこれくらいにして、タイムトラベルの旅を一緒に楽しみましょう。

華族とは?

まずは、おさらいからはじめましょう。

華族とは、明治維新後に始まった近代日本の貴族階級のことです。

大政奉還によって幕府が終わり、廃藩置県によって武家の統治した藩が終わりを迎えました。

そうなると、日本も先進的な近代国家に変わらなければなりません。

しかし、江戸時代までは、日本には『公家』と『武家』という隔たりがありました。

この隔たりは居住地にまで影響し、お互いに全く協力もせず、無干渉という状態でしたが、華族制度が施行されることで、両者が江戸・東京に住むことになりました。

  • 公家 = 京都
  • 武家 = 江戸

公爵とは?

華族令(明治17年宮内省達)の中に五等爵(公侯伯子男)が制定され、施行されました。

その五等爵の中でトップに君臨するのが『公爵』です。

 

日本の『公爵』は、君主や王族などを指す『Prince』と王族などの臣下である貴族を指す『Duke』の2つの称号を包含しようとしていました。

本来であれば、『Prince』と『Duke』は分けて考える国が多いのですが、日本はこの無謀ともいえる制度を作りました。

そればかりか公式英訳を『Prince』とすることにしました。

その結果、非常に混乱を招くこととなり、伊藤博文や近衛文麿などの皇族でない政府要人も『Prince』と紹介され、他国からみると皇族のような扱いとなりました。

 

もちろん、参考にしたイギリスの公爵も分けて考えられています。

どのように分けているのかというと、以下の通りです。

  • 『王族公爵』ー (Prince)王族に叙爵される公爵
  • 『臣民公爵』ー (Duke)イングランド貴族公爵などの王族以外に叙爵される公爵

『公』とは?

ちなみに、『公』とは何かを解説したいと思います。

周に三公と呼ばれた最高位に君臨した3人の大臣がいました。

そこから『公』は大臣を意味するようになり、皇帝・国王を輔弼する一族である公家を表現するようになりました。

そのため、爵位制度の最高位である爵位が『公』爵となったわけです。

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公爵になれる条件

皇族

一応、規則ではありましたが、該当した者はいません。

ということは、英語訳は『Duke』でよくなかったのかな?と思います。

摂関家

まずは、旧摂関家である公家です。

これは、近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家の計5家。

武家

次に、徳川宗家(いわゆる徳川将軍家)です。

これは、徳川家達家のたった1家のみです。

勲功者

これは、上記どの部類にも該当しない国家に偉勲がある者です。

これには有名な人達がいますが、叙爵されたパターンごとに見ていきましょう。

  1. 元々華族の家系であるが、功績が評価され上位爵位を与えられたパターン

    三条実美の三条家、岩倉具視の岩倉家、薩摩藩藩主の島津家、長州藩藩主の毛利家の4家です。

  2. 本家が公爵の上に、特別な功績が評価され分家としても公爵となったパターン

    薩摩藩の後見人となった島津久光の玉里島津家、養子の徳川家達に家督を譲った江戸幕府15代将軍の徳川慶喜の徳川慶喜家の2家です。

  3. 家系に全く関係なく、初代の功績が認められて公爵となったパターン

    伊藤博文の伊藤家、大山巌の大山家、山縣有朋の山縣家、松方正義の松方家、桂太郎の桂家の5家です。

公爵となった一族

公爵になった家名をご紹介します。代表者名には、その家で有名な人をご紹介します。

家名 代表者名
近衛家 近衛文麿
鷹司家 鷹司熙通
九条家 九条道孝
一条家 一条実孝
二条家 二条基弘
三条家(転法輪家) 三条実美
徳大寺家 徳大寺実則
西園寺家 西園寺公望
徳川家(徳川宗家) 徳川家達
徳川家(徳川慶喜家) 徳川慶喜
徳川家(水戸家) 徳川圀順
毛利家 毛利元道
島津家(島津宗家) 島津忠義
島津家(玉里家) 島津久光
岩倉家 岩倉具定
伊藤家 伊藤博文
山縣家 山縣有朋
大山家 大山巌
桂家 桂太郎
松方家 松方正義
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まとめ

公爵とは、華族制度のトップに君臨する爵位です。

そのため、公爵に該当するのは皇族から臣籍降下した一族や、武家のトップであった徳川宗家や国家に功労のあったものでした。

下の爵位から公爵に昇格することはあっても、降格されることはありませんでした。

それだけ公爵は地位の高い称号であったと考えられます。

特に、水戸徳川家以外の御三家については侯爵に列せられています。

では、今回はこのあたりで終わりたいと思います。

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ともきどっとん

歴史愛好家で現役PC講師兼WEBライターです。夢は「広告収入とライター収入を原資に不動産投資をすること」です。歴史会議を運営中。Mastodonもやっています!

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