三菱鉛筆は三菱財閥とも三菱グループとも無関係です。

日本史
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アクセス解析をしていると、非常に検索の多いキーワードがありました。

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「三菱鉛筆 三菱グループ」

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なるほど。世の中の人は三菱鉛筆は三菱財閥の仲間だと思っているのかと気付かされました。

 

実は、三菱財閥の記事を書いたときに、最後の方で少し触れています。

しかし、詳しく知りたい人が多いことが分かったので、改めて三菱鉛筆をご紹介していきたいと思います。

三菱鉛筆の誕生

1560年代

後に鉛筆の原料となる良質な黒鉛が、イギリスで発見されます。

そして頭の良い人が、その良質な黒鉛の固まりを棒状にして、木に挟んだり、布に巻いたりして筆記用具として使えるのではないかと思い付きました。

これが鉛筆の歴史の始まりです。

18世紀

黒鉛を粉末状にし、粘土と混ぜ合わせ焼き固め芯を製造方法を編み出しました。

現在も芯の製造方法は変わっていないそうです。

1848年(弘化5年/嘉永元年)

眞崎仁六

商標とブランド | 三菱鉛筆株式会社

後に、三菱鉛筆を創業する眞崎仁六(まさきにろく)が誕生します。

実は、江戸時代に生まれた人なんですよ。

1868年(明治元年)

眞崎仁六は夢を持って上京します。

上京した後は、日本の美術品や物産品を世界へ輸出する貿易会社である起立工商会社に勤務します(日本の貿易会社の礎といわれています)。

1873年(明治6年)

ウィーン万国博覧会で出品された鉛筆製造機の図面をもとに、研究をし、小池卯八郎(こいけうはちろう)が試作品に成功しました。

1877(明治10)年

小池卯八郎(こいけうはちろう)が、東京・上野で開催された第1回内国勧業博覧会の「教育ノ器具」部門に鉛筆を出品しました。

量産型ではありませんが、これが国内生産初の鉛筆となります。

1878年(明治11年)

パリ万国博覧会で目にした鉛筆に魅了され、国内製造を決意します。

1887年(明治20年)

鉛筆の材料をはじめ、製造機械の設計にも検討を検討を重ね、鉛筆の製造に成功しました。

そして、「眞崎鉛筆製造所」(まさきえんぴつせいぞうじょ)を創業します。

ここに『鉛筆の父』眞崎仁六が誕生します。

1901年(明治34年)

局用鉛筆

身近な道具の近代史Ⅰ | 福岡市博物館

国内生産初の量産型鉛筆3種類(通称『局用鉛筆』)を、当時の逓信省(後の郵政省、現在の総務省・日本郵政・NTTグループ)への納品します。

局用鉛筆は、昭和34年(1959年)まで全国の郵便局で使われていました。

写真も掲載していますが、局用鉛筆は、「削り鉛筆」といい、 現在のような普通の鉛筆の形をしています。

1903年(明治36年)

納品に成功したのを記念して、「3種」や創業者の家紋「三鱗(みつうろこ)」などを表す意味で、赤い3つのひし形を模した「三菱」をロゴマークとして商標登録した(登録番号18865)。

1918年(大正7年)

横浜市神奈川町(現在の横浜市神奈川区)に色鉛筆製造元である「大和鉛筆」が誕生し、両者が合併して「眞崎大和鉛筆」とした。

1952年(昭和27年)

正式に社名を「三菱鉛筆」と変更し、現在にいたる。

名称・「三菱」とロゴ・「スリーダイヤ」

三菱鉛筆と三菱財閥では「スリーダイヤ」誕生の秘話が異なるのですが、共通点もあります。

共通点は、家紋を図案化しているところです。

では、順にみていきましょう。

1903年(明治36年)

三菱鉛筆の名称とロゴ

商標とブランド | 三菱鉛筆株式会社

まず、三菱鉛筆からみていきましょう。

三菱鉛筆が、三菱のマークを作った理由は、「逓信省御用品」として納品された三種の「局用鉛筆」にロゴマークを入れようと決めたことです。

決めたはいいけど、ロゴマークを作っていなかった三菱鉛筆は、創業者である眞崎家の家紋である「三鱗(みつうろこ)」を図案化して「スリーダイヤ」を作りました。

そうです。創業者の家紋を図案化したのです。

1914年(大正3年)

三菱財閥の名称とロゴ

三菱マーク | 三菱グループサイト

次に、三菱財閥の名称とロゴの由来をみてみましょう。

三菱財閥の「スリーダイヤ」は、九十九商会の船旗号として使用していた「三角菱」を発展させたものです。

では、「三角菱」はどこからきたのでしょうか。

それは、岩崎家の家紋である「3階菱」土佐山内家の家紋「三ツ柏」を融合させたものです。

そうです。

三菱財閥は、創業者である岩崎家と土佐藩主であった山内家の家紋を図案化したものです。

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三菱財閥との関係

今回の記事の核心はここです。

結論

まず、結論からお話をすると、三菱鉛筆と三菱財閥は全くの無関係です。

もちろん、資本関係もありません

株主

次に、株主を見てみましょう。

  1. 三井住友銀行
  2. 三井住友信託銀行
  3. 三井住友海上火災保険

など、大株主の上位10位の大半は、三井グループが占めています

姻戚関係

創業者一族である眞崎家は、三菱財閥創業者一族である岩崎家との姻戚関係はありません

しかし、眞崎大和鉛筆の社長を輩出した近藤家と三菱鉛筆の現社長一族である数原家は、岩崎家と姻戚関係にあります。

眞崎家と姻戚関係に無いので、全く関係ないですよね。。。

GHQにも勘違いされる始末に・・・

財閥解体のときに、GHQに三菱財閥系企業だと勘違いされ、商標の使用禁止を言い渡されました。

というのも、三菱財閥系企業は社名に「三菱」を使い、ロゴマークに「スリーダイヤ」を使っているからです。

しかし、当時の経営陣が辛抱強く丁寧に三菱財閥とは関係ない旨を説明し、「商標が『非財閥』であることを社告で公告し、製品にも明記する」という条件付きで、GHQを説得しました。

凄いですね。GHQを説得できるなんて。交渉が上手な人が日本にもいたんですね。

まとめ

三菱財閥と三菱鉛筆が親戚関係だと勘違いされるは、ロゴと社名です。

戦後、GHQも勘違いされるほど全く同じという驚きぶりです。

ロゴ

三菱鉛筆は、創業者である眞崎家の家紋である「三鱗(みつうろこ)」を図案化したものです。

三菱財閥は、岩崎家の家紋である「3階菱」と土佐山内家の家紋「三ツ柏」を融合させたものです。

社名

両社とも、ロゴマークが三菱だからです。

その他

両社には資本関係も全くないので親子会社でもありません。

また、創業者の姻戚関係も全くありません。

以上から、両社が全くの無関係であることが分かったかと思います。

 

これで今回の記事は終わりとしたいと思います。

 

我ながら驚いたのですが、本記事が執筆途中の状態で公開されていました。

気付いてよかったです。

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