皆さん、ロスチャイルド家と並び称されるアメリカの名門一家をご存知ですか?
最近では『やりすぎコージ』の都市伝説でも紹介されるようになって、かなり有名になった一族です。数々の噂話から広がる都市伝説には、何重にも尾ひれはひれが付き、その一族をさらに有名にしたのかもしれません。
その一族を名門一家へと押し上げた男は、世界長者番付において10年間もの長きに渡り1位を独占したビル・ゲイツよりも遥かに莫大な資産を手にしていました。
今回は、アメリカ合衆国の魔神であるロックフェラー家の歴史に迫っていきたいと思います。
ジョン・ロックフェラー
ロックフェラー家を世界屈指の名門一家へと変貌させていく張本人が、『ジョン・ロックフェラー』という一人の男です。
彼は決して名家出身というわけでは有りません。彼の生家の大黒柱は、林業から巡回セールスマンに転身し、怪しげな「植物の医師」を名乗りながらエリキシール(エリクサーとも言い、錬金術で作り上げた不老不死の霊薬のことをいいます。)を売り歩き、更には旅人として頻繁に旅にでる放浪癖を持っていました。
一方で母は大変立派な人でした。一山当てようと目論むばかりで、全く真面目に働かず、外には多数の女を作り重婚を繰り返していた大黒柱の父に変わり、一生懸命、家庭を守り通す裏の大黒柱として立派に主婦をしていました。
後に大富豪になるジョン・ロックフェラーも母の手助けにと家事を手伝い、家計を助けるため七面鳥を育てたり、じゃがいもや飴を売ったりしていました。時には、金を貸したりもしました。
1855年
ジョン・ロックフェラーを語る上で欠かすことのできない会社があります。
製造委託会社であったHewitt & Tuttleです。
彼は、お金を貯めるためには勉強をしなければならないと考え、商業専門学校で簿記を10週間のビジネスコースで学んだ後に、製造委託会社であったHewitt & Tuttleで簿記作業の助手として働き始めました。この会社で輸送費の計算の達人にまでなりました。
『輸送費の計算』が後々の自業の役に立つことは言わずもがなというものですよね。
1859年
転機が訪れたのは、1859年のことです。
それまで雇われで働くだけで、先が全く見えない中、友人のモーリス・クラークと資本金4,000ドルで会社を起こしました。その会社は前職と同じ、製造委託会社です。
友人と一緒に起こした製造委託会社は利益がどんどん上がり、食料品の卸の会社にも関わらず製油所にも投資しました。この頃の石油産業は、高価な鯨油の代替物として安価な燃料が必要とされていたため、ジョン・ロックフェラーの投資した製油所も儲かることになりました。
1870年
兄弟と一緒に、アメリカ随一の生産量を誇るガソリン会社であるスタンダード・オイル・オブ・オハイオを創設しました。
スタンダード・オイルは同業他者とカルテルを結ぶことによって、アメリカの製油と販売を自社の支配下に収めることに成功し、、オハイオ州の中でも屈指の高収益製油所となりました。
では、なぜスタンダード・オイルは業界の競争に勝つことができたのでしょうか。
それは、①秘密の輸送方法による輸送費のコスト削減による低価格の実現と②低価格にも関わらず顧客毎による価格設定という他社にはない突出した特徴があったからです。これにより、石油業界の独占的に成功しましたが、数々の知識人や政治家による独占への非難が集まりました。
当時のアメリカでは法人の自由性がありませんでした。
というのも、法人化した企業は、法人格を取得した州でしか資産を保有することができませんでした。これを回避するためにロックフェラーの取った方法が、各州それぞれに経営する会社を設立しました。しかし、これでは全体の管理が煩雑になり分かりにくくなります。
これを改善する案をロックフェラーの顧問弁護士であったサミュエル・ドッドが提案します。
ロックフェラーの所有する各社の株式を受託者に預託し、株式を共通化することにより、その預託者による理事会を創設するという方法です。現代でいうカルテル(巨大企業グループ)ともいう形を考案し、『スタンダード・オイル・トラスト』を創設しました。
ここにロックフェラー財閥ともいう形が誕生しました。
1911年
『スタンダード・オイル・トラスト』が解体することになります。
1890年にシャーマン法が成立します。シャーマン法とは、アメリカ国内で制限されている取引に関して、カルテルや独占行為を禁止する法律です。立案者がシャーマンという上院議員だったのでシャーマン法といいます。
当分の間は、『スタンダード・オイル・トラスト』には影響が有りませんでしたが、間違いなく脅威となる法律でした。
1911年、とうとうその時が来ました。アメリカ合衆国最高裁判所は、『スタンダード・オイル』に対してシャーマン法違反であるという判決を下し、解体命令を命じました。この時のスタンダード・オイルによる市場の占有率は64%で、ロックフェラーも社長の肩書きで25%の株式を保有していました。
ロックフェラーは、分割後の37の会社の株式も同程度保有し、その株式から多大の利益を得た結果、最終的には資産総額9億ドル(約965億4,580万5,621円/2020年7月現在)となりました。
その他
- 競争相手に自社の帳簿を見えることで、自分には敵わない相手と闘っている凄いやつだと見せつけました。これでも歯向かう奴は倒産に追い込む強引さがありました。
- 「慈悲の天使」と自称し、倒産寸前の会社を吸収することで、石油業界全体の効率化を図ることで競争力を高め業界の押上を行っていました。
ウィリアム・ロックフェラー・ジュニア
ロックフェラー家の2大事業といえば、石油と銀行です。
石油は、兄であるジョン・ロックフェラーが成長させ、銀行を弟のウィリアム・ロックフェラー・ジュニアが成長させました。
現在のシティグループの前身となる『ナショナル・シティ銀行』を設立します。ただ、この『ナショナル・シティ銀行』の頭取に自分が就任することなく、ジェームズ・スティルマンが就きます。
ここからロックフェラー家は銀行業へと参入していくことになります。
兵庫県神戸市にあった『ナショナル・シティ銀行』の建物は、大丸 神戸店として利用され、ショッピングセンターや雑貨店が入居しています。
まとめ
ロックフェラーも最初は苦労していることが分かりました。
現在、アメリカ国内で一番のお金持ちで、一族の総資産が1京円といわれる莫大な資産を有していても、最初は毎日のご飯にも困る平凡な貧乏人であったのは驚きでした。巷でよく言われるのは、「お金持ちしかお金持ちになれない」ということです。しかし、初めからお金持ちの人はいないということが分かりました。
それを兄弟でロックフェラー財閥を作った華麗な経歴には感嘆の気持ちと驚きしか有りません。また、詳しく調べて記事にしたいと思います。